山本五十六の最期(1941〜1943年)

戦況がますます悪くなり、1943年、ついに“その時”を迎えます。


ミッドウェー作戦の大敗から、ガダルカナルでも戦いましたが、戦況はますます悪くなっていきました。 ガダルカナル島の作戦が終わり、連合艦隊司令部は、ラバウルに進出することになります。

そして、運命の前線視察が行われます。
危険だからと中止を進言した者もいますが、山本は意に介しませんでした。

敵を過小評価していたのか、死地を求めていたのかは、わかりません。

1943年(昭和18年)、4月18日の午前6時、山本五十六はラバウルの基地を出発します。

午前8時、ブーゲンビル島の上空、目的地まであと数分というところで、突然アメリカの戦闘機が襲いかかってきました。

長官機は、攻撃を受け、ジャングルへと墜落していきました。

山本五十六は、後頭部から額への貫通銃創で即死でした。


1943年(昭和18年)5月21日に、大本営から山本五十六の戦死が発表され、元帥の称号が贈られました。

山本の死は、国民に悲しみと不安を与えることになりました。

国葬は同年6月5日、東京日比谷公園内で執り行われました。

6月7日、山本の分骨が故郷・長岡に戻り、長興寺にある山本家代々の墓所にお墓が建てられました。
山本五十六のお墓は、今も献花が絶えません。


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