真珠湾攻撃〜ミッドウェー攻略作戦(1941年)

米英に宣戦布告し、真珠湾攻撃・ミッドウェー攻略作戦を展開します。


宣戦布告〜真珠湾攻撃

1941年(昭和16年)、連合艦隊司令長官の山本五十六は、当時の首相、近衛文麿に、日米開戦となった場合の見通しを聞かれて、こう答えたと言います。


「ぜひ私にやれと言われれば、1年や1年半は存分に暴れてごらんにいれます。しかし、その先のことは全く保証できません。」


この言葉が近衛首相の誤解を生んだとも言われていますが、戦争を回避したかった山本五十六としても、多額のお金を注ぎ込んだ海軍が、戦争で戦えないとは言い出しにくかったのではないかと思われます。

その後、日本はアメリカとイギリスに宣戦布告し、戦争が始まることになります。

山本五十六といえば、ハワイの真珠湾攻撃を思い浮かべる人も多いと思いますが、山本が航空機によるハワイ攻撃を考えたのは、1940年頃と言われています。

1940年に、イギリス海軍が、イタリア海軍に空母の航空機による攻撃を仕掛け、これが成功したのも、山本に影響を与えたと思われます。

真珠湾攻撃については、燃料補給や効果不十分など様々な理由で軍令部から反対がありましたが、山本五十六は、開戦の最初にアメリカ海軍とアメリカ国民に大打撃を与えなければ勝算はないとして、連合艦隊司令長官の職を投げ打つ覚悟でこれを承認させました。

1941年(昭和16年)11月26日、ハワイに向けて出発、日本時間の12月8日午前3時25分、アメリカ海軍に向けて真珠湾攻撃が始まりました。

攻撃は完全に奇襲となり、アメリカ海軍は大損害を受けました。

が、日本にとって不幸だったのは、アメリカ軍太平洋艦隊の空母群が真珠湾に停泊しておらず、討ちもらしてしまったことでした。


ミッドウェー攻略作戦で大敗を喫す

アメリカの国力の大きさを知っていた山本は、とにかくアメリカ軍と国民の戦意を失わせて、早く戦争を終わらせようとしました。

そして、すぐさま次のミッドウェー攻略作戦を展開します。

しかし、この頃にはアメリカ軍は暗号解読に成功しており、作戦内容はほぼ筒抜け状態でした。

結局、アメリカ軍に把握されていた日本軍の攻撃は、主力空母4隻を失う大敗でした。

このとき、山本五十六は戦場の後方の戦艦「大和」にいましたが、大敗の報告を受けても、将棋を指し続けていたといいます。

何かを悟っていたのでしょうか。


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