山本五十六の生涯

山本五十六の誕生から終焉までの人物像と動向を紹介します。

山本五十六の誕生~海軍兵学校時代

山本五十六は、1884年(明治17年)に新潟県長岡市で、長岡藩士、高野貞吉の六男として生まれました。
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山本家の相続~結婚

1915年(大正5年)、学生のうちに32歳になっていた五十六は、山本家を相続しました。山本家は、長岡藩第一の名家で、代々家老職の家柄でした。
⇒ 山本家の相続~結婚

アメリカ滞在~航空本部長時代

1919年(大正8年)、山本五十六はアメリカ駐在を命ぜられ、いきなり新婚家庭を留守にすることになります。のち、第一航空戦隊司令官、ロンドン海軍軍縮会議予備交渉日本代表を経て、海軍航空本部長に就任します。
⇒ アメリカ滞在~航空本部長時代

海軍次官~連合艦隊司令長官

二・二六事件の起きた1936年(昭和11年)、山本五十六は海軍次官に就任します。独ソ不可侵条約締結後、連合艦隊司令長官に就任することになります。
⇒ 海軍次官~連合艦隊司令長官

真珠湾攻撃~ミッドウェー攻略作戦

米英に戦線布告がなされ、1941年(昭和16年)日本時間の12月8日午前3時25分、アメリカ海軍に向けて真珠湾攻撃が始まります。次のミッドウェー攻略作戦を展開しますが大敗を喫します。
⇒ 真珠湾攻撃~ミッドウェー攻略作戦

山本五十六の最期

戦況が悪くなった1943年(昭和18年)、飛行機で前線視察に出ていた山本五十六は、ブーゲンビル島の上空で、米軍機の攻撃を受けます。
⇒ 山本五十六の最期

山本五十六の略年譜

激動の大正~昭和期を海軍の軍人として生きた山本五十六の生涯を振り返ります。
⇒ 山本五十六の略年譜


  

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